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福岡地方裁判所飯塚支部 昭和36年(ワ)199号 判決 1965年3月26日

原告 久家伝三郎

被告 稲富繁隆

主文

一、被告は原告に対し、金八〇万六三四二円およびこれに対する昭和三七年一月七日以降右完済に至るまで、年五分の割合による金員を支払え。

二、原告その余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は、これを九分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四、この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一、当事者双方の申立

一、原告

被告は原告に対し、金九〇万三〇七〇円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和三七年一月七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言を求める。

二、被告

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

第二、原告の請求原因と被告の主張に対する答弁

一、原告は、昭和三六年二月一九日午前一一時四〇分頃、飯塚市昭和通三丁目を自転車で通行中、被告の運転する自動三輪車ダイハツ五七年型福6に一〇四〇号(以下本件自動車という)に、後方から衝突(以下本件事故という)され、入院加療六ケ月を要する右側頭骨々折等の負傷を受けた。

二、右事故は、被告が無免許で車体検査に合格しない車を運転し、原告を追越そうとして、起きたもので、被告の過失に基くものであるから、被告は原告の受けた次の損害を賠償すべき義務がある。

三、原告が、右事故により受けた損害は、次のとおりである。

(一)  得べかりし利益の喪失による損害金五五万八七六〇円。

(イ) 原告は、前記事故により、第一項記載のような傷害を受けたが、右傷害により、現在では右眼は失明し、耳は聴えず、歩行も自由ではない。原告は二四才位の時から最も視力を必要とし、特殊技術者たる旋盤工となり受傷当時に至つたが、右受傷により旋盤工たる資格を全く喪失し、労働能力を完全に喪失したのである。

(ロ) 原告は明治二二年八月二〇日の生れであるから、右受傷の日は生後満七一年六月一九日である。ところで、厚生省統計調査部作成の第九回生命表によれば、日本人の平均寿命は、七五年であるが、原告は生来身体強健で八五才迄は労働可能であると確信していたので、少くとも満七五才迄は、十分に労働できる体力を有していた故、残存労働期間は、満三年五月一一日を存するのである。

(ハ) 原告は、受傷当時、訴外原野鉄工所において一日五五〇円の収入があり、一ケ月平均二五日稼働するにより一ケ月の収入は一万三七五〇円となり、一日平均賃金は四五六円六六銭であつた。よつて、右残存労働期間中の収入は、五五万八七六〇円である。

(二)  原告が治療に要した費用は金四万四三一〇円であり、その内訳は次のとおりである。

(イ) 五六七九円。 飯塚病院における治療費として支出した分(昭和三六年六月二九日より同年一二月一六日迄の分)

(ロ) 四七七一円。 青山病院における昭和三六年二月九日より同年九月七日迄の入院及び通院治療費の支払残。

(ハ) 二万八二〇円。 同病院において原告が附添人に支払つた附添料。

(ニ) 三一五〇円。 同病院において入院中の給食費として支出した分。

(ホ) 二六七〇円。 同病院に入院中要した木炭並びに氷代金。

(ヘ) 二二〇〇円。 薬品購入代金。

(ト) 二七五〇円。 青山病院入院中要して牛乳代金。

(チ) 二二七〇円。

原告の長男久家哲は、当時、日鉄鉱業株式会社健康保険組合の組合員であり、原告は、その家族として、右組合から治療費の給付を受けたが、右組合は、組合規則により右久家哲から二二七〇円を徴収し、右金員は、原告が右久家哲に支払うべきものである。

(三)  慰藉料金三〇万円。

(イ) 原告の家庭には、妻マサエ(本件訴訟提起時六三才)がおり、子供等は別居している。

(ロ) 原告は、右受傷後、収入は全くなく、その日の生活にも困り、昭和三六年一〇月三〇日より現在迄、生活保護法に基く生活住宅の扶助を受けている。

(ハ) 原告は、右受傷により長く病院生活を送り、疼痛、失明等により苦痛を受けた。

(ニ) 原告は右受傷により旋盤工として働くことができなくなつた。

(ホ) 以上の諸事情を考慮すると、この精神的苦痛に対する慰藉料は金三〇万円をもつて相当とする。

四、よつて、原告は、被告に対し前項(一)ないし(三)の合計損害金九〇万三〇七〇円およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和三七年一月七日以降右完済に至る迄の民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

五、被告の過失相殺の主張は否認する。

六、原告が被告より金七万二三一五円を受領したことは認めるが、それは本訴において請求している金員とは別口のものである。

第三、被告の主張

一、請求原因第一項中、被告が原告主張の日時、場所において、本件自動車を運転していたこと、原告が負傷したことは認めるが、その余は否認する。原告は、高齢者なるに拘らず、当日飲酒して自転車に乗り、歩道から車道に下りた途端、ふらついて操縦を誤り、転倒し負傷したのであつて、被告に責任はない。

二、請求原因第二項中、被告が無免許で、車体検査に合格しない車を運転していたことは認めるが、その余は否認する。

三、請求原因第三項中原告が明治二二年八月二〇日生れであり、その家庭には妻マサエがおり、子供等は別居していることは認めるが、その余は否認する。

四、仮に被告の自動車が原告の自転車に接触して転倒負傷せしめたとしても、当時原告は飲酒しており、仮にそうでないとしても、原告は当時七二才の高齢者であつて、いかに壮健であつたにもせよ、既に、運動神経は鈍磨していた。かような原告が自転車に乗つている際生じた事故であるから、原告に過失があり、この点は損害額算定に当然斟酌されなければならない。

五、被告は、原告に対し本件事故後昭和三六年一一月一一日までの間に、数回に亘り、生活費その他の名義の下に合計金七万二三一五円を支払つている。

六、なお、原告は本件事故前に植木にのぼつて転落し、その際大負傷をなし、且つ本件事故後にも、また交通事故に遭遇している。従つて、右事故による各損害は本件事故による損害と区別して算定せらるべきである。

第四、証拠<省略>

理由

一、被告が昭和三六年二月一九日午前一一時四〇分頃、飯塚市昭和通三丁目を、本件自動車を運転していたこと、原告が右日時場所において負傷したことは当事者間に争いがない。

二、被告は原告に衝突したことがなく、仮に、衝突したとしても被告に過失はないと主張するので、考えるに、右争いのない事実に、いずれもその成立に争いがない甲第一〇号証の四、六、七、一一、一四、一五、いずれもその方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから、真正な公文書と推定すべき乙第三号証の一、四、五、一〇ないし一二、一五、一六および原告(第一、二回)並びに被告各本人尋問の結果を綜合すると、被告は、昭和三六年二月一九日、被告所有の本件自動車を運転し、福岡県嘉穂郡日鉄二瀬中央坑より鶴三緒に赴く途中、午前一一時四〇分頃、飯塚市昭和通三丁目手島いも問屋前の幅員約八米の車道左側を、時速約二五粁の速度で南進中、斜左前方約三米の地点に、原告が自転車に乗り後部荷台にボール箱を積み、道路の左端を歩道沿いに同一方向に進行しているのを認め、その右側を追越そうとして、警笛を吹鳴することなく、漫然と同一速度のまま、右自転車の右側を通過しようとした際、本件自動車のアングルボデー附近を、右自転車後部荷台のボール箱に接触させ、その衝撃で、原告を自転車諸共その場に転倒させ、よつて、原告に対し治療三ケ月を要する右側頭骨々折、頭蓋内出血、右第四、五、六肋骨々折、肺気腫右手挫滅創、右第三、四指複雑骨折を負わしめたことが認められ、乙第三号証の三、七および被告本人尋問の結果中右認定に反する部分は信用できず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。しかして、当時被告が無免許運転であつたことは当事者間に争いがないところ、自動車が先行する自転車を追越す場合には、自動車の運転者は、まず先行する自転車の右側を通過しうる十分の余裕があるかどうかを確めるとともに、あらかじめ、警笛を吹鳴するなどしてその自転車運転者に警告をあたえ道路の左側に避譲させ、十分な間隔を保つた上、追越すべき注意義務あるに拘らず、被告は無免許で運転が未熟であつたため、距離感を誤り、先行する原告の自転車と接触することなく、十分に追越しうるものと過信し、漫然と追越しを敢行したため、本件事故を惹起したもので、右事故は被告の重大な過失に基くものといわなければならない。

被告は、原告は本件事故当時飲酒しており、自転車に乗つて歩道から車道に下りた途端ふらついて操縦を誤つたものであると主張するが、飲酒の点については、被告本人尋問中右の主張にそう部分もあるが、にわかに信用できず、成立に争いがない甲第一〇号証の一二もこれを認めるに足りず、他にこの点を認めるに足る証拠はない。また、原告が自転車で歩道から車道に下りてきた際操縦を誤つたという点は、右主張にそう乙第三号証の三および被告本人尋問の結果はとうてい信用できず、他にこの点を認めうる証拠はない。かえつて、被告主張の如き事実がなかつたことは、前記当裁判所が信用した証拠から、優に認めることができるのである。

そうすると、被告は民法第七〇九条の規定により、本件事故により原告の受けた損害を賠償すべき義務がある。

三、そこで、進んで本件事故による損害について判断する。

(一)  得べかりし利益の喪失による損害

原告が明治二二年八月二〇日生れであることは当事者間に争いがなく、成立に争いがない甲第一ないし第四号証、第一〇号証の一〇、一一、証人原野藤雄の証言により真正に成立したと認めうる甲第七号証、同証言、証人青山了、同石川兼太郎、同久家マサエの各証言と鑑定の結果を綜合すれば、原告は、昭和三六年一月二〇日頃から本件事故の前日まで、訴外原野鉄工所にポンプの修理、仕上工として勤務し、日給五五〇円を得、月平均二五日就労し、月平均一万三七五〇円の収入を得ていたが、本件事故による前記傷害のため、右眼は失明し、左眼の視力も低下し(昭和三六年一〇月三〇日現在で〇、七ないし〇、八で矯正不能)、耳は両側神経性難聴とくに右耳は高度の難聴をきたし、更に、右手指に運動障害を起していることが認められ、原告の年令を合せ考えれば、原告は、もはや、将来何等の職業にも従事することはできず、労働能力を完全に喪失したものと認むべきである。

被告は、原告は本件事故前に木から落ちて重傷を負い、本件事故後も、交通事故に遭い、重傷を負つているから、これらの事故の傷害と本件事故の傷害とは区別さるべきであると主張する。しかし、前記甲第一〇号証の六、一一、弁論の全趣旨から真正に成立したものと認められる乙第一、二号証と鑑定の結果によれば、原告は昭和三三年木より墜落し、左第二ないし第九肋骨々折及び左大腿骨々折の傷害を受け、更に本件事故後である昭和三六年九月七日、交通事故により、入院治療一ケ月を要した左側頭部打撲、左前膊挫創、左鎖骨々折及び左第三肋骨々折の傷害を受けたが、現在においては胸部レントゲン線上第三ないし第八肋骨に陥凹変形骨折治癒像及び中等度の肋膜肥厚癒着像を認め、ために軽度の肺機能障害を惹起する一因となつており、左鎖骨々折像も認められるが、肺機能に影響はなく、頭部打撲による後遺症も殆んど認められず、本件事故以外の前記二度に亘る受傷によつては、現在においては、軽度の影響をおよぼしているにすぎないことが認められるから、原告が、本件事故の前後に、二度に亘つて、受傷したことがあるからといつて、原告が本件事故によつてその労働能力を全く喪失したものと認定することの妨げとなるものではない。

原告は明治二二年八月二〇日生れであるから、本件事故当日はちようど七一年六月であり、厚生省統計調査部作成の第九回生命表(修正表)によれば、七一年六月の男子の平均余命は約八、一五年であつて、鑑定の結果により認められる本件事故当時における原告の健康状態から考えれば、前認定程度の労働ならば、少くとも七五才に達するまで、即ち、本件事故後、四二ケ月の間は、従前どおり可働し、従前と同程度の収入をうることができるものと推定するのが妥当である。ところで、原告は、本件事故後、交通事故(以下第二の事故という)による受傷により一ケ月間の入院治療を余儀なくせられたのであるが、もし、右第二の事故が、本件事故がなくても、惹起したであろうと考えられるばあいには、少くともその入院治療中の一ケ月間は本件事故がなくても、原告は稼働できず、収入をあげることができなかつたものと考えられるから、本件事故による原告の得べかりし利益の喪失による損害額を算定するにあたつては、この点を斟酌すべきものと解すべきであるが、前記認定の事実と甲第一〇号証の六、一一、証人久家マサエの証言によれば、第二の事故は、原告が本件事故により両眼を悪くし、眼の治療のため、病院に通院の途中の出来事で、本件事故によつて視神経に障害をきたしそれが第二の事故の原因の一になつていることがうかがわれるから、本件のばあいの如く、本件事故がなければ、第二の事故も発生しなかつたであろうというように、両者の間に条件的関係が存在すると認められるばあいには、かような後発的事情は斟酌せらるべきではないと解するのを相当とする。

そうすると、前記原告の月額収入金一万三七五〇円に可働月数四二ケ月を乗じた金額が原告の得べかりし利益となるがこれをホフマン式計算法により、一ケ月分毎に、遂一、民法所定の年五分の割合による中間利息を控除し、本件事故当時における一時払額に換算すると、金五三万一一六二円(円未満切捨)となる(佐藤信吉氏「年金的利益の現在価格をホフマン法によつて求めるための数値表」不法行為に関する下級裁判所民事裁判例集第二号下(昭和三二年度)所掲により計算する。)。

(二)  治療に要した費用

成立に争いがない甲第八、第九号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認めうる甲第一二号証の一ないし三、甲第一三、第一四号証、甲第一五号証の一ないし六、甲第二〇号証の一ないし六と弁論の全趣旨によれば、原告は右受傷のため、(イ)昭和三六年二月一九日より同年七月一日まで青山病院に入院し、この間の入院治療費の未払金が四七七一円あり、入院中の附添人費用として二万〇八二〇円、給食費として三一五〇円、栄養補給のための牛乳代として二七五〇円、木炭並びに氷代として二六七〇円を要し、(ロ)昭和三六年六月二九日から同年一二月一六日まで、麻生産業株式会社飯塚病院に通院し、この間の通院加療費として五六七九円を要し、(ハ)右受傷治療のための薬品購入費として二二〇〇円を要したことが認められる。なお、右甲第九号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第一六号証、原告本人尋問の結果(第二回)と弁論の全趣旨を綜合すれば、原告の息子久家哲は本件事故当時日鉄鉱業株式会社に勤務し、日鉄鉱業二瀬健康保険組合の組合員であつたので、原告は、当初、その家族として治療を受けていたが、右哲はその後、同会社を退社したため、以後原告は右保険組合から治療費の給付を受けることができなくなつたのに拘らず、そのまま、右保険組合員の家族として、治療を受けていたため、右哲は同組合より原告の治療費二二七〇円の求償を受け、原告において、昭和三六年九月三〇日右哲名儀で、右金員を同組合に支払つたことが認められる。

以上の諸費用は、いずれも、原告が本件事故による傷害の治療に要した費用として、支出し又は支出すべきものであるから、原告は本件事故により右費用の合計金四万四三一〇円の損害を受けたものである。

(三)  慰藉料

前記認定事実と前記乙第三号証の九、一〇、成立に争いがない甲第一〇号証の一三、第一八号証、その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき甲第一一号証、証人久家マサエの証言、原告(第二回)および被告各本人尋問の結果を綜合すれば、原告は大正八年九月一一日久家マサエと結婚し(右マサエが原告の妻であることは争いがない。)、結婚当時から東洋製鉄、日鉄鉱業等で仕上工として数十年勤務し、昭和三六年一月二〇日頃から原野鉄工所で修理仕上げ工として可働していたものであるが、本件事故による受傷により、長期に亘る入院通院の治療のかいもなく、右眼失明、難聴等により労働能力を全く喪失し、前記仕上げ工に復帰することが不可能になつたこと、本件事故当時、夫婦二人だけで生活し、現住家屋を所有する以外には見るべき資産もなく、妻は菓子商により月四〇〇〇円位の収入を得ていたが、原告が労働できなくなつたため、菓子商も仕入ができなくなつて経続不可能となり収入の途を絶たれて生活ができず昭和三六年一〇月三〇日より、生活並びに住宅扶助を受けざるを得なくなり、煩悶の生活を送つていること、被告は、本件事故当時自動三輪車二台を使用して土建業を営んでいたのであるが、被告は運転手のいないときは無免許であるにも拘らず、しばしば、右自動三輪車を運転したことがあり、本件事故当時も無免許運転であつたこと、被告は本件事故当時までに前後九回に亘り無免許運転で処罰されたことがあり、いわば無免許運転の常習者であること、被告は本件事故後、後記の如く、数回に亘り、生活費その他の名義の下に合計金七万二三一五円を原告に支払つていることが認められる。

このような被告に存する過失の態様並びにその程度、原告の受けた傷害の部位程度、事故発生の経緯その他の諸事情等を綜合して考えると、本件事故により原告の受けた精神的苦痛は甚大であつたことが窺われ、これに対する慰藉料は金三〇万円を以て相当と認める。

そうすると、原告は、本件事故による被告の不法行為により、右(一)ないし(三)の合計金八七万五四七二円の損害を受けたものということができる。

四、過失相殺の主張について判断する。

被告は、本件事故について、仮に被告に過失があつたとしても、本件事故は、原告が七二才の老齢で、飲酒の上自転車に乗り、歩道から車道に下りた際、ふらついて操縦を誤つた過失により惹起したものであるから、損害額算定については過失相殺がなさるべきであると主張する。

原告が飲酒していたという点、自転車に乗つて歩道から車道に下りた際ふらついて操縦を誤つた点については、かかる事実が認められないことは前示のとおりである。

原告は本件事故当時七一年六月であり、鑑定の結果によれば七〇才以上の老人になれば、一般に聴力、視力、注意力が低下し運動性が緩慢になり、突嗟に危険から身をかわす反射性が欠け、かなりの運動神経を必要とする自転車乗行は危険であることが認められるが、前記甲第一〇号証の一〇、証人久家マサエの証言によれば、原告は、本件事故当時は眼も耳もよく、毎日自転車で通勤していたことが認められるから、当時原告が自転車運転の能力を欠き若しくは同能力が甚だしく減退していたものとは考えられず、本件事故は道路の左端を通行する原告の自転車を被告の自動三輪車が無謀な追越をしようとして惹起したものであるから、単に老齢の原告が自転車に乗つていたことをもつて、本件事故の発生につき原告に過失があつたということは相当でない。

被告の右過失相殺の主張は採用できない。

五、弁済の抗弁について判断する。

被告は、原告に対し、本件事故後昭和三六年一一月一一日までの間に数回に亘り、生活費その他の名義の下に合計金七万二三一五円を支払つたと主張し、原告は右日時迄に右金員を受領したことは認めるが、それは、本訴において請求している金員とは別口のものであると抗争する。

成立に争いがない乙第四号証の一ないし一三と被告本人尋問の結果によれば、原告が本件事故による受傷の治療のため、青山病院に入院中の給食費として金六二〇〇円、附添人費用として金一万八一一〇円、木炭および氷代として金一八七〇円を原告に支払い、更に入院中の原告の生活費として、金四万六〇〇〇円を支払つたことが認められる。ところで、原告は右入院中の給食費としては、金三一五〇円を請求するのみであるから、被告の支払つた給食費のうち、三〇五〇円は原告が本訴において請求している以外のものであると認めざるを得ない。

従つて、右生活費として支払つた四万六〇〇〇円は前記得べかりし利益の喪失による損害の一部に、右給食費として三一五〇円、附添人費用として一万八一一〇円、木炭および氷代として一八七〇円、合計二万三一三〇円は前記治療に要した費用の一部に各弁済されたものと認むべきである。

六、そうすると、結局、原告の本訴請求中、損害金八〇万六三四二円ならびにこれに対する本訴状が被告に送達された日の翌日であることが一件記録に徴し明らかな昭和三七年一月七日以降右完済に至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める部分は、理由があるから正当として認容し、その余は失当として棄却すべきである。

よつて、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第九二条本文、仮執行の宣言につき、同法第一九六条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 真庭春夫 杉島広利 片山欽司)

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